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2020年11月25日 (水)

トヨタ 東富士工場閉鎖

いよいよウーブンシテイですが。日々に振り回されている我々とは、あまりに違いすぎ。
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> 半世紀以上にわたり地域経済を支えてきた工場の閉鎖に、地元からは惜しむ声が聞かれる。
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東富士工場が、トヨタ東日本の前身の一つ、関東自動車工業の工場として産声を上げたのは1967年。福島県出身の三輪直文さん(72)=御殿場市=はその年に入社し、工場の草創期から現場で働いた。
 当時、工場の近くでは、自動車の時代の到来を告げる東名高速道路を建設中。三輪さんは高速道路用地で仲間とソフトボールを楽しんだことがあるという。山を切り開いて建てた工場の周辺は舗装されておらず「雨が降るとぬかるんで大変だった」と振り返る。
 車の売れ行きは好調でモデルチェンジも頻繁だった。東富士工場はトヨタのさまざまな車種の組み立てを担い、三輪さんが担当した溶接の工程も忙しかった。「連日残業。2時間以上残業するとパンをもらえたのを覚えています」と言う。
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 出来上がるのはトヨタの車だが「関東自動車が造った」との誇りがあった。11月初め、同期入社のOBたちと最後の工場見学をして、高級車「センチュリー」の工程などを見届けた。
 閉鎖について三輪さんは「トヨタの戦略だから仕方のないこと」と話す。トヨタの東北の拠点化は東日本大震災の復興支援の意味もあり、東富士工場の機能は東北に移される。三輪さんの古里の福島県南相馬市も震災で津波に襲われ、実家は流された。
 今年1月に定年退職した中村健司さん(60)=裾野市=の自宅は東富士工場から歩いて10分ほど。「一戸建てを買い、家族を養うことができた。会社には感謝しています」と話す。
 高知県出身の中村さんは「給料がいいから」という理由で、スーパーの社員から転職し、28歳で関東自動車に入社した。2交代制の生産ラインの仕事は楽ではない。タクトタイム(作業者の1台当たりの作業時間)は秒単位で厳密に決められ、気を抜けない。
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 楽しみは休日に山登りやジョギングで体を動かすこと。お酒も好きで、退職の際、同僚がウイスキーや焼酎をプレゼントしてくれたのがうれしかった。
「工場に思い入れはありますよ。でも次があるじゃないですか。どう変わっていくのか楽しみです」と実験都市「ウーブン・シティ」に期待している。
 「未来都市」は地元にどんな恩恵をもたらすのか。裾野市商工会の勝又豊・事務局長は「ウーブン・シティに地元の業者がどれだけ関われるのか見当もつかない。大切なのは雇用。製造業の工場なら分かりやすいのだが」と話し、今更ながら、といった表情で付け加えた。「交通の便がよく、東名高速裾野インターはすぐ近くで、あの工場のためにあるようなもの。地盤はしっかりしていて水が豊富。あんないい場所なのに、なぜ閉鎖するのだろうか」
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毎日新聞 2020年11月25日 06時05分(最終更新 11月25日 06時05分)
https://mainichi.jp/articles/20201124/k00/00m/020/410000c


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